大田別ノート

物部厨どもが夢、それとも幻。

近江


日撫神社

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滋賀県米原市顔戸の日撫神社。2009年の参拝でした。
山津照神社からは北西に約1.5kmほどのところです。
鎮座地名の顔戸(ごうど)は神戸に由来すると見る説があります。

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『延喜式』神名帳の近江国坂田郡に、「日撫神社」がみえます。
明治期以来、『神社覈録』『神社志料』など、『姓氏録』の河内国諸蕃にみえる火撫直氏と社名の日撫を関連づける見方が広く行われてきたようです。これだと阿智使臣(阿知使主)の後裔とされますから、東漢氏族の展開が想定されますが、近年では特に有力な見解ではないようです。

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一帯は後別当古墳などの古墳が点在する地域で、息長氏の影響をこの神社にも考える見方があり、社伝もそれに拠っています。神功皇后の祖先が代々住んだ地で、皇后がこの地を慕うことは深く、三韓から凱旋したのち祠を建て、父の息長宿祢王および国土経営と医薬に功のある少毘古名命を祀ったことを創始とする、というものです。
継体天皇の擁立勢力に息長氏をあてる説が有力化し、さらにそれに対する批判としてこの一帯の古墳の検討がなされ、息長氏と当地とのかかわりはせいぜい5世紀後葉までにしか遡れないことが明らかにされています。神功皇后云々がのちの付会であることは明らかです。しかし、息長氏縁故の地に鎮座するという点は動かしがたく、その関与による創建という可能性を考えるのは無駄ではないと思います。

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下馬石。
「書は平安時代中期の書家で日本三跡の一人小野道風の作と言われている」
と案内がありましたが、本当でしょうか。

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初出:「日撫神社」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51893088.html 2011年01月05日

山津照神社

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滋賀県米原市能登瀬に鎮座する、山津照神社。
昨年(2009年)のゴールデンウィーク旅行の三日目に、米原駅前でレンタカーを借りて、一番最初の目的地にしたのがここでした。
上の写真のように、拝殿の前が芝生の広場になっていたのが印象的。きっと休日の日中に来たら、近所の子供たちが遊んでいたりするんでしょうね。

参道も下の写真のように、ほとんど芝だったと思います。玉砂利を敷いた厳かな感じもいいですが、こういうのも親しみが持てていいな、と思います。

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境内には、前方後円墳の山津照神社古墳があります。
主軸は参道とほぼ並行し、くびれ部あたりを少し削るようにして、境内社の八幡神社が建っています。

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墳丘の長さは、三つもあった案内板のうち、最も新しいものによると、46.2m。家形石棺を納めた横穴式石室と、そこから出土した遺物から、6世紀前半ころの築造と見られるようです。
塚の越古墳など一帯の古墳とともに群を成します。息長古墳群です。
天野川流域を基盤とした集団の奥津城と見られ、息長氏を被葬者にあてる説が有力なようです。

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この古墳についても、神功皇后の父、息長宿祢王の墓とする見方が一部でされていたようですね。
明治15年の参道拡張工事のときに発見された古墳なので、よく「そういう伝説がある」と古くから語り継がれているような言い方がされている点は疑問なのですが。古墳の存在自体は古くから知られていて、工事を口実にして主体部を掘り起こしちゃったのかしら。

このように、息長氏に縁故の場所の神社ということで、祭神や創建の事情についても息長氏と関連づける見方が、明治以降ずっと主流のようです。
ただ、神社側からはあまり積極的に主張されているというわけでもないようで、現在の祭神は国常立尊となっています。

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拝殿も本殿も立派で、落ち着いた雰囲気ですね。
息長古墳群は、5世紀代には有力な古墳を持たず、6世紀に入って前方後円墳を築くようになります。
この点、継体天皇との繋がりを考える人が多いです。天皇の妃のうち、麻組郎女は息長真手王の娘といいます。

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下の写真は手水舎です。
センサーが設置してあって、人が近づくと自動で水が出ます。離れてしばらくすると止まります。ハイテク。

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初出:「山津照神社」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51800249.html 2010年03月20日

伊夫岐神社と伊吹山

今年(2009年)のゴールデンウィークの旅行で撮ってきた写真です。
伊夫岐神社は、滋賀県米原市伊吹に鎮座します。

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『文徳実録』嘉祥三年十月八日条に「近江国伊富岐神」として従五位下の神階に叙せられたことが見え、その後も『三代実録』貞観元年正月二十七日に従五位上、元慶元年十二月二十五日には従三位に昇ったことが見えます。
貞観九年四月二日には、神祇大祐の大中臣常道が遣わされ、近江国伊福伎神社に弓箭鈴鏡を奉納したと『三代実録』にはあります。
美濃国不破郡の式内社、伊富岐神社と並んで、伊吹山の神を祀る有力な神社だったようです。

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伊吹山は新幹線の車窓からも見えるそうでおなじみの山らしいですが、北海道育ちの私が間近に見上げるのははじめてでした。
なんだかすごいですね。すごいというか酷い。

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上写真、右側の山頂近くまで、不自然に平らになってますでしょう? 緑になっているのは、削られてから時間が経っているからのようです。

簡単に図にしてみますと、つまり、こういう自然の山がまずあったところ…

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人間の手で削りとられて、山の元の形がわからなくなってしまうほど、姿を変えてしまったということです。

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決して小さな山ではないのに、こんなにゴッソリと削りとられてしまうことなんてあるんですね。住友大阪セメントという会社が持っている伊吹鉱山というのだそうです。ふもとのほうまで、大きなパイプが引かれて、採掘した石灰岩をじゃんじゃん送れるようになっていました。
山自体がそのうちなくなってしまうんじゃないかと心配になってしまうくらいですが大丈夫なのかしら。

伊吹山の神といえば、景行紀によれば、大蛇に姿を変え、ヤマトタケルに祟りをなし、ついには死に追いやったとされる神です。古事記にも、白い猪の姿でヤマトタケルの前に現われ、同様に祟りをなしたとされます。
恐ろしい神威をもった神です。この神に対して、強い畏敬の念を古代の人たちが持っていたことをうかがわせます。

なお、セメント会社は神社に多額の寄付もしているような感じでした。


初出:「伊夫岐神社と伊吹山」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51707522.html 2009年08月19日
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