大田別ノート

物部厨どもが夢、それとも幻。

武蔵


埼玉奥の山古墳現説(2008年)

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埼玉県行田市の埼玉(さきたま)古墳群内にある、奥の山古墳の現地説明会。
2007年は12月に行われたんですけど、今年はちょっと早いんですね。今年度分の調査は、来年2月まで続くそうですが。
私は午後の第三班で回りました。そうしたら、説明してくれる担当者のかたが去年と同じ人に。他のかたの説明も聞いてみたかったような気もしますが、開始時間まで待っている間の、立ち位置で分けられてしまうから仕方ない。
引き続き、墳丘ではなく、周囲を掘り返して調べられています。

ポイントは三つ、
1)周堀の形。従来いわれているように、古墳群内唯一の盾形なのか。
2)堀の数。従来いわれているように、古墳群内唯一の一重堀なのか。
3)近接する鉄砲山古墳の周堀との干渉具合。
というのがあります。

上の写真は奥の山古墳の南側から、西側部分の堀を撮ったものです。
奥のほうに見えているのが、鉄砲山古墳です。

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またヘタクソな図ですみません。
「説明会資料」というリーフレット状のものをもらったのですが、そのまま転載というのはいかがなものかと思いましたので…。

もう、堀の形状については盾形説は完全否定されました。
昭和四十年代の調査の結論から、盾形だとされてきたそうで、公園化のときに重機を入れてエイヤーと掘り込んだ池を現在見ることが出来るんですが、当時はそんなに詳しく調べたわけじゃなかったようで、今回の新発見となりました。
堀の数も一重ではなく、二重にめぐっていることが判明。
これで、さきたま古墳群内の前方後円墳は、すべて二重の堀を持っていたことがわかりました。

上図のとおり、右上(後円部東側)のほうに出っ張ってる変形四角形というのが本来の形状になります。

奥の山古墳の後円部側と、その右上に見える鉄砲山古墳の前方部側は、かなり接近しています。
今年度のこれからの発掘で詳しく調べるらしいですが、両古墳の外堀が重なり合ってしまうような状態です。

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これが奥の山古墳の北側(鉄砲山古墳の南側)の現状。だいたいこのあたりで堀が重なっているらしいです。
要するに、奥の山古墳の堀が、右上に出っ張る(というか左上が引っ込んでいる)のは、鉄砲山古墳に遠慮して造られたからだということになります。
が、埴輪の編年からは、奥の山古墳のほうが古く、鉄砲山古墳のほうが新しく築かれたことがわかっているんですね…
謎です。
鉄砲山古墳のほうが規模が大きい古墳なので、将来、そこに奥の山古墳の被葬者よりもエライ人が葬られることを見越して、あえて歪んだ形にしておいたとか?

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上写真は鉄砲山古墳側。
奥が墳丘で、その手前に内掘、さらに手前の高くなっている部分が中堤で、その手前側に外堀があります。

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奥の山古墳の内堀の、右上(東側)の隅の部分です。
右の赤茶色の土が関東ローム層で地の部分。左の黒っぽいほうが掘だった部分だそうです。

さきたま古墳群のあったところって、古代には今より2mくらい高い、台地のような地形だったんですね。地盤沈下と近世の造成ですっかり平地になってますけど。
そうなると、古墳を造るエリアとして意識された場所は結構狭く限られてたのかもしれません。両古墳の異常な接近っぷりも、そういうのと関係してるんでしょうね。
そんな豆知識も得れて、楽しかったです。
奥の山古墳のくびれ部寄り後円部に突き出ている造り出しは、来年度に発掘されるそうです。

【追記:2021年12月】その後、奥の山古墳を取り巻く水堀は埋め立てられ、一連の調査の成果を活かした整備が行われました。


初出:「奥の山古墳現説」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51547185.html 2008年10月25日

鷲宮神社


埼玉県鷲宮町鷲宮一丁目に鎮座する鷲宮神社に参拝してきたときのメモ。
自治体名の由来になってしまうほど、有名な神社なんですね。

有名なといえば、だいたいこの角度から見た鳥居付近もです。

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美水かがみ氏原作のアニメ、『らき☆すた』のオープニングに登場しています。

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よく見たら、微妙に変化が起こってますね。お祭りのときに幟を立てたりする柱が無くなってます。撤去されたんでしょうか。
作中のメインキャラのうち、柊かがみ・つかさの双子姉妹の父が、ここをモデルにした「鷹宮神社」の宮司を務めるという設定。
私が参拝する二日ほど前に報道されたところによると、かがみんとつかさ、両親と2人の姉の計六人が、鷲宮町に住民登録されるとか。

鷲宮神社の由緒については、境内の案内板によれば次のとおりです。

「当社は御祭神 武蔵国造の遠祖・天穂日命・武夷鳥命、大己貴命、外合祀神九柱を奉神。出雲族の草創に係る関東最古の大社にして、景行天皇の御宇、日本武尊の造営、次いで武蔵国造の司祭造営、中世以降関東の総社、また関東鎮護の神として武将の尊崇厚く、藤原秀郷、源義家、鎌倉時代には、建久四年(1193)十一月源頼朝の神馬奉献・社殿造営、建長三年(1251)四月北条時頼の神楽奉納、正応五年(1292)北条貞時の社殿造営、応安五年(1372)小山義政の社殿修復などが古文書に見えます。
室町時代に至り、足利氏、古河公方などの保護を受け、天正十九年(1591)徳川家康から四百石の朱印地を与えられました。
したがって、これらゆかりのある文化財が数多く所蔵され、国指定、県指定となっているものが多くあります。」

出雲族や天孫族といった捉えかたや、そういった部族の実在性については、現在の史学界では否定的な見方がほとんどです。あくまで、王権の側から見た色分けとしなければなりません。
ただ、7世紀代以降の武蔵(无邪志・胸刺)国造が出雲臣同族を称していたことは、種々の史料から裏づけが取れます。
土師部が居住地であったことから土師宮(はじのみや)→鷲宮(わしのみや)になったという説があるらしいです。古代史料上は(私の知る範囲では)特に土師部との関係は見出せないのですが、土師臣もまた出雲臣の同族を称しており、一案かもしれません。ちなみに、ここの神楽も「土師流」といいます。

日本武尊、藤原秀郷、源義家…このあたりは、関東の神社の由緒にはお馴染みの面々ですね。おそらく神社の歴史にハクをつけようと、徐々に付け加わっていったんでしょう。「関東最古」も同様です。
史料上、確実なのが吾妻鏡のようです。武蔵国の「鷲大明神」「鷲宮」として見えます。鎌倉時代前期には、すでに有力な神社として知られていたことが分かります。

拝殿。

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垣の内に、本殿は二つあります。右手が鷲宮神社本殿で、天穂日命とその子の武夷鳥命を祀り、左手が大己貴命(大国主命)を祀ります。
屋根の形状など、建築様式が違っていて面白いですね。周囲が整備工事中でした。

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塩古墳群


埼玉県熊谷市塩にある、塩古墳群です。
行ってきたのは2007年12月22日。

古墳群は、墳丘上の木や草が刈り取られて、かなり奇麗に整備されていました。案内板も設置されていて、それによると、古墳時代前期の土器等の遺物が出土しているとのこと。
北方4km弱の距離にある鹿島古墳群は後期に造営されたものでしたが、やっぱり雰囲気が違うもんなんですね。前期古墳のほうが、一基一基それぞれが自己主張してるような気がします。

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案内板のすぐ後ろにあるのが1号墳です。
全長約35mの前方後方墳とのこと。
写真の右側が前方部になります。

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同じく1号墳です。
後方部の上から前方部を見おろした感じで。
奥のほうに見えてるのが12号墳(そして左側に私のカローラ)。

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こちらは2号墳です。やはり前方後方墳。
全長は約30mだそうです。手前が前方部。低くて小さな前方部…まさに前期古墳の特徴です。
関東の古墳時代前期の首長墓は、前方後方墳が多いですよね。ここもその例に漏れずといった感じです。
以前、千葉で全長10mちょっとのちっこい前方後円墳(後期の築造)を見たことがあるのですが、そういう「こだわり」が面白いです。

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3号墳。
割と大きめの円墳です。直径20mくらいはあったと思います。

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そして3号墳の上から南側を見るとこんな感じです。1号墳、2号墳、5号墳、7号墳、8合墳が並んでいます。
古墳を見ることがない北海道育ちの人間にとっては、こんなにギュウギュウにひしめいてるのを見るのは、感激と同時に、どこか不思議な世界に迷い込んでしまったかのような…とにかく楽しいです。

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14号墳。円墳っぽいですが、手前側が少し削平されてるようでした(そして私のカローラ)。

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古墳群内には、前方後方墳2基、方墳26基、円墳8基が残されているそうです。下草が刈られて整備されているのは、そのうち20基ほどだったと思います。


初出:「塩古墳群」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51293009.html 2008年01月13日

秋山庚申塚古墳


埼玉県本庄市(旧児玉町)の庚申塚古墳を見てきたときのメモ。
秋山古墳群を構成する古墳のひとつだそうです。

この扉(柵)に書いてある「まむし注意!」が恐いです。まあそういうのが恐いから、この寒い時期に出歩いてたんですが…

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奥壁に巨石が使われていて、他は大小さまざまな感じです。

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天井は、大きめの平たい(といってもかなり厚いのですが)石が折り重なるように積んであります。
崩れていたのを復元した際、綿密な考証がされず適当に積んだせいなんて話も?

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奥から開口部側を見て。
上部に穴が開いてるおかげで、中が明るいのです。
両袖式です。

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玄門石もバッチリ残ってます。ステキ。

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側壁は地面に近いほうが広く、天井に近づくにつれ狭くなって、石室は台形状の空間になってます。奥の巨石に威圧感みたいものが若干ありますが、全体的には広々としてる印象でした。
ところで、天井近くの側壁に、他より飛び出してる石があるんですけど…これも復元時の失敗なのでしょうか。

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動画。


すぐ近くに、武蔵国那珂郡唯一の延喜式内社、ミカ神社(漢字変換できません…)がありました。国道沿いのほうに。
気づいてすぐに車を停められるようなスペースがなかったもので、そのまま通り過ぎてしまったんですが、つい気になってしまいますね。古墳を築いた人たちとの関係。


初出:「庚申塚古墳」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51280794.html  2008年01月03日

稲荷塚古墳


埼玉県嵐山(らんざん)町へ稲荷塚古墳を見に行きました。
胴張りのある石室の実物を見るのははじめてです。見事に丸いですね。天井に向かってドーム状になってるのが面白いです。

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玄門石・天井石・奥壁に大型の石が使われ、他の部分は平な割石を積み上げて作られています。
巨石のみ、小さな割石のみ、の石室よりも、お洒落な印象です。

開口正面から。

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奥壁。

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玄室の壁。南側の玄門寄り。

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玄室の壁。北側の奥壁寄り(下のほう)
この湾曲具合がたまらんですね。

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玄室の壁。北側の奥壁寄り(上のほう)

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鹿島古墳群


埼玉県深谷市の鹿島古墳群へ行ってきました。合併前は川本町だったところです。
荒川の中流域に位置し、五十数基が現存するそうです。現地の各古墳に「何号古墳」という表示がつけられているんですが、90号くらいまで見かけたような。ずいぶん消滅してしまったんですね。
それでも、結構な数です。
あっちを見ても古墳。

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こっちを見ても古墳。

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案内板によると、7世紀初頭から8世紀初頭にかけてつくられたと推定されるそう。奈良時代初期の住居跡の上に古墳を築いているところもあったとか。
この85号古墳あたりは葺石がびっちり貼ってました。

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こちらは73号古墳です。一辺が9mの方墳で、古墳群の中でも最も遅い時期のもののようです。すでに埋葬施設の発掘も終わっており、案内板には「発見された石室や裾石は地下に埋め戻し保存しています」とありました。

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埋め戻し?
土嚢を乗せてるだけなのでは?

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荒川に面した側は、長年に渡って侵食を受けたらしく崖になっています。崖のギリギリにある古墳の中には、今にもすべて崩れて無くなりそうなものも。

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緊急性の高そうなところから発掘調査が行われているようです。墳丘の上に登るのは禁じられていたので、外からカメラを高くかかげて、望遠(といっても四倍までしか出来ませんが)で撮影すると続きを読む

さきたま火まつり(2007年)

埼玉県行田市の、さきたま古墳公園で行われた「さきたま火祭り」に行ってきたときの様子。

「祭り」といっても、フェスティバル色が強いんですが、ちゃんと地元の前玉神社(延喜式内社の)神官のかたもいらしてました。開始前で手持ちぶさたな宮司さん…奥が全国最大級の円墳・丸墓山古墳です。

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実は前玉神社は、近世には境内社の浅間神社のほうが有名だったそうで。祭神の木花咲耶姫命に無理やりちなんで、瓊々杵尊と一緒に輿に乗って登場。一夜の契りでの妊娠を疑われたために産屋を燃やしながら出産したという神話を模したのが、この火祭りなわけですよ。
妊娠ネタだから、大人が二柱の神に扮してるのかと思いきや、地元の中学生だそうです。

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藁なのでアッという間に燃えます。

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観衆の熱気に応えて、埼玉古墳群に眠る人々が目覚め、丸墓山古墳と稲荷山古墳から、炎の列が降りてきます…
という設定。

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ヲワケ臣も千数百年の刻を越え復活。タイミングがズレて後姿しか撮れませんでした。会場に流れるナレーションで「ワカタケル大王こと雄略天皇の…」とか言ってました。なんだか嬉しくなります。
ヲワケさんは…「者ども、剣を抜けっ!」あたりまでは良かったんですが、そのあとセリフを噛んじゃってぐだぐだに。がんばれ。

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最後は花火で締め。

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面白い祭りなんですが、見所になる部分は短いんで…衆議院議員とか県議会議員とかの挨拶に取られる時間が長いと、待っているほうはイライラするかも。


初出:「さきたま火まつり」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/50973897.html 2007年05月04日

吉見百穴横穴墓群

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2007年3月3日は、行田市の県立さきたま史跡の博物館での講演を聴きに行ったのです。この博物館では吉見百穴をテーマにした特別展が開催中で、それも見がてら…といった感じで。
講師の金井塚良一氏は、『吉見百穴横穴墓群の研究』という著書で知られる、関東の横穴墓研究の第一人者だそうで、埼玉県立博物館の館長も務めたことがある方。

お話の結論的には、やはり渡来系の人々が吉見百穴を築いたのだろうと。
胴張のある石室の古墳や、横穴墓における、埼玉県内の例や茨城県の例を示して、推古朝に朝廷の東国政策の一環として渡来系氏族が送り込まれ、墓制に変化が起こったと見ることが出来るといわれてました。
特に、吉見百穴のある比企郡に隣接する男衾郡に勢力を持った壬生吉志に注目しているようでした。

そんな話を聞いたり、特別展に並んでいる関東各地の横穴墓出土の遺物を見ているうちに、現地に行って見たくなったわけです。

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