2003年8月から2007年3月まで本体サイト「天璽瑞宝」の資料ページに置いておいたものなんですが、こっちに復活させておこうと思います。
当時のものをそのままコピペしたので、特に再チェックとか手直しはしてません。不備があってもそのままですみません。

これも偽書(=奈良時代の風土記ではない)、という評価はひっくり返らないと思うのですが、書かれていることがすべて机上の創作だとも思えないんですよね。丹後の在地伝説などを反映している部分が、あるように見えます。
過大評価すると、神社の社伝で古代史復元とかの、よくある変な方向に行っちゃいますかね。そのあたりも怖くて、以前は引っ込めたんですけど、おもしろいものはおもしろいですから…

偽作の根拠として代表的なものをあげると、「高橋郷」「田造郷」の存在があります。
それぞれ、もっともらしい郷名(地名)の由来が書かれているのですが、実はこの地名、『和名抄』の特定の写本における誤記によるものなのです。偽作者は、誤記であることに気づかず、由来譚を創作してしまったのでしょう。
正しくは「椋橋郷」「田辺郷」であることは、善本である高山寺本『和名抄』や他の地名史料から明らかです。

また、「凡海郷」についての記述として、大宝元年三月の地震によって大規模な地盤沈下があり、広い範囲が海中に没したが、高い山の山頂のみが島として残ったというものがあります。
しかし、現代の地震学・地質学からは、このときの地震は、そのような地形の大変化をもたらすような規模ではなかったことが指摘されています。
地震自体は『続紀』にも載っていますから、『続紀』を見て付会したのでしょうね。『続紀』の記述は丹波で三日間の地震があった、ということだけです。郷ごと沈むような超巨大地震なら藤原京でも揺れを感じたはずですけれど、そうではなかったようです。
大宝元年から風土記編纂までの短期間に、この物語が創りだされるとは考え難く、やはり後世の偽作と見なければならないわけです。

まあ、こんなネタもあるんだね程度に。
天火明命の周辺に関しては、記・紀・旧事本紀だけでなく、籠神社社伝や但馬故事記との比較もいいかもしれませんね。

底本は永濱宇平編『丹後史料叢書』です。いつの間にか近代デジタルライブラリーでも公開されていました。



虫食い多すぎ?私もそう思います。

【追記:2022年】近代デジタルライブラリーは2016年5月に国立国会図書館デジタルコレクションと統合されました。
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