水谷千秋氏の『謎の渡来人 秦氏』を読んでいたら、静岡県沼津市井田の井田松江(すんごう)古墳群の名前がちらっと出てきました。秦河勝が富士川あたりまで常世神(虫なんだけど)信仰を取り締まりに行った話のなかで、その新興宗教の教祖だったらしい大生部多にからんで書かれていました。
この古墳群から近い沼津市西浦木負(きしょう)は、かつての伊豆国田方郡棄妾郷の遺称地なのだそうで、近年、そこから「大生部」と書かれた木簡が発見されているそうです。

もっとも、近いといっても徒歩で行こうと思えば木負から井田松江古墳群まではずいぶんかかりますし、この古墳群の被葬者が大生部氏の人物だったとまではいえないと思います。
井田は、沼津市に合併する前の君沢郡戸田村に属するんですかね。ここは、むかしは田方郡ではなくて、那賀郡に属したはず。延喜式神名帳の井田神社は、那賀郡にあったとされています。

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昨年(2008年)の3月に、この古墳群へ行ったことがあります。
訪れようと思ったのは、「物部分布」の伊豆の部分をご覧いただければわかるように、那賀郡に住んだ物部の人たちの存在を知ったからです。平城京まで、海産物を税として納めに行っていたんですね。
伊豆国造は国造本紀によれば物部氏の同族を称するので、伊豆に置かれた物部の管掌者も、国造を本宗家とあおぐ一族から選ばれたのではないか…と考えました。
この古墳群と関係するかはわかりませんが。


この一帯、古代においては、農業的には豊かな地とは見えないような気がしました。大きな平地が無いんですね。
代わって豊かさをもたらすものと見えるのが海です。物部某さんたちが納める税として選ばれた特産物がカツオなどの海産物だったのも、これを顕著にあらわしていると思います。
井田松江古墳群の立地も、かなり海を意識しているように思いました。高台の岬の上に古墳が並んでおり、海への眺望がすばらしく良いんですよ。私が行ったときも晴れていたので、富士山まできれいに見えました。

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平野を見おろす山の上の立地の古墳はありますね。私が行ったことのあるところですと、岐阜県の象鼻山古墳群や、長野県の森将軍塚古墳がそうでした。
あれは、やはり葬られる首長たちが、かつて支配していた土地を望めるような立地になってることがあるんじゃないかと思うのです。墳丘に登って平野を見おろすとき、王者の気分にひたれます。

平野ではなく、海を見おろす井田松江古墳群に葬られた人たちが、支配したもの、彼らを支えた富とは、海からの得られるもの…海産物以外なら、水運・交易のようなことでも…だったのではないか、という思いを、現地では強くしました。

伊豆といえば、枯野の船(応神紀)が知られます。これは狩野川流域のほうの伝説のようですが、戸田も近世は造船が盛んだったんでしょうか。
日本人が建造した最初の本格的な洋式帆船(君沢型帆船)は戸田で造られた…みたいな話が検索したらヒットしたもので。これはどこまで遡れる伝統なんでしょうね。

下写真は井田松江18号墳の石室です。発掘調査後、屋根つきで保存されています。
案内板によると、6世紀の終わり頃につくられた直径約11mの円墳。銀象嵌を施した円頭大刀の柄頭などが出土しているそうです。
石室の全長は約8m、高さ約2mで、伊豆の横穴式石室としては最大規模なのだとか。

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7号墳。

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19号墳

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10号墳

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