大田別ノート

物部厨どもが夢、それとも幻。

2011/01


佐渡国分寺

2008年の秋に行ったときの写真です。いま思い返しても金山のインパクトが大きすぎて、他の史跡の印象が弱い…
新潟県佐渡市国分寺にある、佐渡国分寺跡です。奇麗に整備されていて、見学しやすくなっていました。

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伽藍配置は、南大門・中門・金堂が縦に並び、すこし離れた東側に塔があるタイプ。
具体的な創建年代は不明ですが、環境庁と県が立てた案内板によると、天平宝字八年に国から最勝王経・法華経各一巻が施入された年あたりの完成とする説が有力らしいです。

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礎石がかなり残されています。
ただ、国分寺としてはこじんまりした印象を受けました。

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塔心礎はさすがに大きいですね。ちょうどいい形の自然石に、少し手を加えた感じでしょうか?

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国分寺は今も法灯を伝える寺院で、建立は江戸初期と推定されるそうです。
こちらも趣きある建物がいくつもあって、素敵でした。

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萱葺きの瑠璃堂は寛文六年の建立らしいです。

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初出:「佐渡国分寺」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51901233.html 2011年01月28日

日撫神社

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滋賀県米原市顔戸の日撫神社。2009年の参拝でした。
山津照神社からは北西に約1.5kmほどのところです。
鎮座地名の顔戸(ごうど)は神戸に由来すると見る説があります。

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『延喜式』神名帳の近江国坂田郡に、「日撫神社」がみえます。
明治期以来、『神社覈録』『神社志料』など、『姓氏録』の河内国諸蕃にみえる火撫直氏と社名の日撫を関連づける見方が広く行われてきたようです。これだと阿智使臣(阿知使主)の後裔とされますから、東漢氏族の展開が想定されますが、近年では特に有力な見解ではないようです。

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一帯は後別当古墳などの古墳が点在する地域で、息長氏の影響をこの神社にも考える見方があり、社伝もそれに拠っています。神功皇后の祖先が代々住んだ地で、皇后がこの地を慕うことは深く、三韓から凱旋したのち祠を建て、父の息長宿祢王および国土経営と医薬に功のある少毘古名命を祀ったことを創始とする、というものです。
継体天皇の擁立勢力に息長氏をあてる説が有力化し、さらにそれに対する批判としてこの一帯の古墳の検討がなされ、息長氏と当地とのかかわりはせいぜい5世紀後葉までにしか遡れないことが明らかにされています。神功皇后云々がのちの付会であることは明らかです。しかし、息長氏縁故の地に鎮座するという点は動かしがたく、その関与による創建という可能性を考えるのは無駄ではないと思います。

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下馬石。
「書は平安時代中期の書家で日本三跡の一人小野道風の作と言われている」
と案内がありましたが、本当でしょうか。

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初出:「日撫神社」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51893088.html 2011年01月05日
コメント
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