大田別ノート

物部厨どもが夢、それとも幻。

2010/10


八木岡瓢箪塚古墳

栃木県真岡市八木岡にある、瓢箪塚古墳の写真です。
芳賀地域では最も大きい古墳で、全長77メートルあります。前方後円墳です。
築造時期は、五世紀と六世紀の境目くらいと推測されているようで、大和田富士山古墳と鹿天神山古墳の間に入る時期のようです。
ちなみに、鹿天神山古墳のある真岡市鹿には隣接して物井の地名があり、下野国芳賀郡物部郷の遺称地とされます。



下写真は北側から見て、手前が前方部、奥が後円部だったと思います。

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後円部の上から前方部のほうを見ました。

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同じ五行川流域の首長墳とはいえ、鹿古墳群とは距離もあって、地形的にも繋がっているとはいえませんし、別々の集団によって築かれたと見たいところです。鹿古墳群のほうが、この古墳に葬られた豪族を抑えて台頭した、物部の現地管掌者の墳墓かも、と想像したいのです。

逆に前方部の上から後円部を見たところ。
保存状態はかなり良いんですが、樹木のせいで見通しが悪いんですよね

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主体部は未調査なので内容も不明なのですが、墳丘に特徴があります。
前方部の片方に、出っ張りがあるのです。これも造り出しの一種なのでしょうか。

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その特異な前方部付近。
ただの藪画像ですね。すみません。

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初出:「八木岡瓢箪塚古墳」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51872504.html 2010年10月25日

ヤマトタケルの墓 2/2



白鳥塚古墳

三重県鈴鹿市加佐登町に鎮座する加佐登神社。
うっかりして写真を撮り忘れました…鈴鹿郡鎮座の式内社「倭文神社」を合祀するともいうのに…惜しいことをしました。
この参道を登ったところに社殿があるのです。

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そして、神社の左手から後方へ少し行ったところにあるのが、白鳥塚古墳です。
本居宣長らが日本武尊の墳墓と見ていたため、明治の候補地でも最有力だったようですが、治定からは残念ながら漏れてしまいました。
従来は円墳と見られたり、明治期に石室を見たという口伝から六世紀の横穴式石室を持つ古墳と見られたりしていました。
しかし、平成17年の調査で、帆立貝式古墳であることが明らかになり、築造時期も五世紀前半と見られるようになりました。

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私が訪ねたのは平成18年のことですが、トレンチの跡などには気づきませんでした。きれいに埋め戻したんですね。
全長92メートル、後円部径77メートルといいますから、なかなかの規模です。
丘陵の頂上を利用して築かれているので、見た目はもっと大きく感じました。

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古墳の裾からは隣りの調整池がよく望めます。
このときはちょうど夕暮れ時で、日が水面に反射してキラキラと奇麗だったのですが、全然うまく撮れませんでした…

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