大田別ノート

物部厨どもが夢、それとも幻。

2009/12


井田松江古墳群

水谷千秋氏の『謎の渡来人 秦氏』を読んでいたら、静岡県沼津市井田の井田松江(すんごう)古墳群の名前がちらっと出てきました。秦河勝が富士川あたりまで常世神(虫なんだけど)信仰を取り締まりに行った話のなかで、その新興宗教の教祖だったらしい大生部多にからんで書かれていました。
この古墳群から近い沼津市西浦木負(きしょう)は、かつての伊豆国田方郡棄妾郷の遺称地なのだそうで、近年、そこから「大生部」と書かれた木簡が発見されているそうです。

もっとも、近いといっても徒歩で行こうと思えば木負から井田松江古墳群まではずいぶんかかりますし、この古墳群の被葬者が大生部氏の人物だったとまではいえないと思います。
井田は、沼津市に合併する前の君沢郡戸田村に属するんですかね。ここは、むかしは田方郡ではなくて、那賀郡に属したはず。延喜式神名帳の井田神社は、那賀郡にあったとされています。

2d2ab0cf

昨年(2008年)の3月に、この古墳群へ行ったことがあります。
訪れようと思ったのは、「物部分布」の伊豆の部分をご覧いただければわかるように、那賀郡に住んだ物部の人たちの存在を知ったからです。平城京まで、海産物を税として納めに行っていたんですね。
伊豆国造は国造本紀によれば物部氏の同族を称するので、伊豆に置かれた物部の管掌者も、国造を本宗家とあおぐ一族から選ばれたのではないか…と考えました。
この古墳群と関係するかはわかりませんが。


この一帯、古代においては、農業的には豊かな地とは見えないような気がしました。大きな平地が無いんですね。
代わって豊かさをもたらすものと見えるのが海です。物部某さんたちが納める税として選ばれた特産物がカツオなどの海産物だったのも、これを顕著にあらわしていると思います。
井田松江古墳群の立地も、かなり海を意識しているように思いました。高台の岬の上に古墳が並んでおり、海への眺望がすばらしく良いんですよ。私が行ったときも晴れていたので、富士山まできれいに見えました。

d20a3cfe

平野を見おろす山の上の立地の古墳はありますね。私が行ったことのあるところですと、岐阜県の象鼻山古墳群や、長野県の森将軍塚古墳がそうでした。
あれは、やはり葬られる首長たちが、かつて支配していた土地を望めるような立地になってることがあるんじゃないかと思うのです。墳丘に登って平野を見おろすとき、王者の気分にひたれます。

平野ではなく、海を見おろす井田松江古墳群に葬られた人たちが、支配したもの、彼らを支えた富とは、海からの得られるもの…海産物以外なら、水運・交易のようなことでも…だったのではないか、という思いを、現地では強くしました。

伊豆といえば、枯野の船(応神紀)が知られます。これは狩野川流域のほうの伝説のようですが、戸田も近世は造船が盛んだったんでしょうか。
日本人が建造した最初の本格的な洋式帆船(君沢型帆船)は戸田で造られた…みたいな話が検索したらヒットしたもので。これはどこまで遡れる伝統なんでしょうね。

下写真は井田松江18号墳の石室です。発掘調査後、屋根つきで保存されています。
案内板によると、6世紀の終わり頃につくられた直径約11mの円墳。銀象嵌を施した円頭大刀の柄頭などが出土しているそうです。
石室の全長は約8m、高さ約2mで、伊豆の横穴式石室としては最大規模なのだとか。

c669cc18

7号墳。

c82229b6

19号墳

1b4899a4

10号墳

da3ef9a4
続きを読む

菅ヶ谷横穴

今年(2009年)の6月に訪ねた、菅ヶ谷横穴墓群の写真です。静岡県袋井市国本にあります。
国本はずいぶん広いですね。ここはそのなかでも東寄りです。静岡カントリーの袋井コースというゴルフ場のなかにあります。
「所縁の史跡」のほうでもちょっといいましたが、和田岡古墳群の各和金塚古墳から近いです。式内郡辺神社の論社・富士浅間宮にも。



95基以上が確認され、消滅したものを含めれば100基を越す数といわれる、静岡県下屈指の横穴墓群。採集された土器からは、7世紀前半ころに盛んに築かれたと見られているようです。
ただ、完存している横穴は少ないようです。それから、ゴルフ場を作るときの造成や、自然に崖上が崩れたことで埋まっているのも多いとか。

9486c40c

そんなわけで、データ上は大規模だといわれていることに期待しすぎると、現地でショボく感じることもあるかもしれません。

玄室の形は三角が多くて面白かったです。おおざっぱに描くと、こんな形なのです。
bfc1330a
cf9f78d8

この後、宇刈横穴墓群にも行ったのですけど、やはり三角形が並んでいました。といっても、宇刈のほうは菅ヶ谷以上に埋まってしまっているので、全体のうち、どれくらいの割合を占めているのかよくわかりませんでしたが。

おなじ静岡県でも、伊豆の柏谷百穴や北江間横穴墓群は、カマボコ形や四角形の断面だったと思います。



ただ、柏谷百穴では見なかった棺座のついているものはいくつかありました。お棺を乗せる台です。
下写真のものは、奥壁と平行に作りつけられています。

2211be05

吉見百穴だと、見学可能な棺座のあるものはすべて側壁と平行についていたと思います。
地域や造営集団によって違いが出るのでしょうか。興味深いですね。


三角だけでなく、五角形のものもありました。家形を意識しているのでしょうか?

6d377b25


初出:「菅ヶ谷横穴」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51759803.html 2009年12月11日
コメント
天璽瑞宝新着
LINEで更新通知を受け取る
LINE読者登録QRコード
QRコード
QRコード
古代おもしろシチュエーション