大田別ノート

物部厨どもが夢、それとも幻。

2009/11


「高床式倉」建造

196fd871

江戸東京博物館へ行ったときに買ってきたキットを組み立てることにしました。
小学生が夏休みに作って提出してるイメージありますが、普通に古代好きの部屋のインテリアにもなりそうです。
小学生はこれ単体ではなく、模造紙に弥生文化を図を使ってまとめたレポートを書いて、一緒に提出すると、なかなかいい感じになると思います。読書感想文が苦手で、毎度休みが終わる3日前になると泣いていた私がいっても説得力がないですが。

b0d33f73

「弥生時代、稲作とともい高床の家も日本に伝わった。高床は湿気をさけるので、稲を貯蔵するための倉庫として使われたが、貴族用の住宅も同じ高床式だったという説もあります。床下の柱上には“ねずみ返し”がついていました。
また、屋根の下の三角部分が出し入れ口で雨が入らないよう、屋根が張り出した形になっていました。」

と説明書に書いたありました。へえ。
伊勢神宮で見た、この建物に似ているようで似ていない? いや神宮のほうが弥生時代の建物を復元するときに参考にされてるから似るのでしょうか。

99b8367c

説明書をよくみたら、製造元の加賀谷木材(株)は、北海道網走郡津別町にあることに気がつきました…なんか…わざわざ道外で買った意味が…いやそこを深く考えたら負けですか.

0aac8794

ce318cca

d07e4838

fda1b4b3

ad548985

21fd7170

思っていたより手間がかかるものでした。でも組み立てるのが難しいというわけでもないですね。
完成後は、小物入れになります。

f089f301


初出:「高床式倉建造」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51755122.html 2009年11月29日

春日山古墳と泰遠寺古墳石棺

今年(2009年)のゴールデンウィークの写真からです。
福井県永平寺町の松岡公園は、町役場の向かいの道を南に入ったところにあります。春日山古墳がここにあるというのを、山川出版社の『歴史散歩』を読んで知ったので、訪ねてみることにしました。
ちなみに、越前の大首長の墳墓群として名高い、松岡古墳群がある山々も、ここが登山口のひとつだそうです。こんな案内図があります。パンフレットは中央公民館に行くともらえるんですね。

77de182e

春日山古墳

6世紀末ころの古墳です。松岡公園が整備されるときに発見されたものの、墳丘の上部は削平され、石室の天井石等も抜かれた後だったそうです。
天井石はありませんが、コンクリートとガラスの保護屋根に覆われて、保存されています。

acb23e4e

両袖ですね。
床に、平らな川原石が敷き詰められているのがきれいです。

0ee07160

石棺の縄掛突起は身と蓋の両方についてます。横口が設けられていることも特長。

2d71affc

去年、出雲へ行ったときに、横口式石棺をいくつか見ました。やはり山陰での例は多いそうです。


一方、福井県下では、かなり珍しいようです。
出雲との交流があった有力者が葬られたのかも、なんて想像がふくらみます。

石感の内部を見ると、ノミで削った跡も残っていますね。

16a3e940

框石で玄室と羨道がしっかり区切られていて、段差になってます。両側の門柱石もなかなか。

6b1c0dca
続きを読む

武者塚古墳

今年(2009年)の三月に、茨城県土浦市の“上高津貝塚ふるさと歴史の広場”へ行ったときの写真です。
行田のさきたま史跡の博物館に貼ってあったポスターで、「よみがえる古代の信太郡」という企画展のあることを知ったのでした。かすみがうら市郷土資料館の学芸員で、常陸国の古代について研究されている方がいらして、その講演を聞くのも兼ねて出かけました。

常陸国信太郡といえば、風土記によれば、癸丑年(653年)に物部河内と物部会津の二人が、中央から派遣されていた高向大夫に願い出て、筑波郡と茨城郡から七百戸を割いて設置されたとされている郡。
物部氏は当地の有力豪族で、この後も郡司を出したと推定されているところです。下君山廃寺も、この豪族によって造られたのかしら。出土の瓦も展示されてました。
高来里の普都大神の伝承も、この物部信太連によって伝えられていたものと見ていいです。

そんな感じの興味の持ち方で、展示も講演も楽しく見たり聞いたりできました。
この博物館、名前のとおり上高津貝塚という縄文時代後期の貝塚遺跡を敷地内に保存していて、貝層の断面展示もしてあったりで、小学生から考古マニアまで楽しく見学できそうでいいですね。

087a8db0

屋外に、土浦市木田余町にあった、東台13号墳の箱形石棺も移築保存されていました。

88d796cb

案内板によると、古墳時代終末期(7世紀中頃)に築かれた前方後円墳なのだとか。7世紀中頃で前方後円墳か…西国だととっくに終わってるんですよね…やっぱり地域差も見過ごせないんですね。
これは内部。

8b2e0a43


それと、たぶん常設展示なのだと思うのですが、土浦市上坂田の武者塚古墳の出土品も見ることができます。
三累環頭大刀は鞘に黒漆塗りが施されたもの。直刀も透かし穴が開いた鍔がつけられていたりでオシャレです。

そして注目はミズラです。埴輪の欠けたものじゃないですよ。被葬者のミズラも出土してます。ついでにヒゲも。
湿度とか、土の酸性の強さとか、いろんな要素が重なって偶然に残ったものなんでしょうね。
展示室内は撮影自由でしたが、撮った写真を勝手に公開していいかどうかは訊いてこなかったのでUPしないでおきます。

遺物を見ているうちに、その古墳も見たくなったので、壁に貼ってあった地図をメモして現地へ。
立派な覆屋があります。古墳だったのかどうかは、ちょっと見ただけではわからなくなってしまってますね。

175dbb69

なかには入れないので、窓の金網の隙間にカメラを入れて撮りました。

1b13cb09

逆の向きからも。

4cabeed5

筑波山麓の片岩で作られた石室なのですが、ちょっと変わっています。基本はこの地域でよくある箱形石棺を墳丘に直埋めした感じなのですけれど、玄室に前室がつくごとく、石棺に一辺が1mくらいの広さの前室もついています。
石室なんだか石棺なんだか…
前室の外に玄門があるわけではないので、横穴式石室とはちょっと違うような気がするのですが?
横穴が無い状態で、箱形石棺同様に墳丘の中に埋めてしまったら、もう出入りはできないと思うのですけど、部分的に残っていた人骨から、六人の被葬者(うち一人がミズラとヒゲの人)がこの中に埋葬されていたそうで、どうも追葬がされているらしいです。
どうやって追葬するんでしょう。いちいち石棺の上に盛られた墳丘の土を掘り返すんでしょうか。素人にはよくわかりません。

覆屋の外には、武者塚2号墳の箱形石棺も保存されています。もとはここから北へ170mほどのところにあったそうです。

9bd98628


初出:「武者塚古墳」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51746750.html 2009年11月09日
コメント
天璽瑞宝新着
LINEで更新通知を受け取る
LINE読者登録QRコード
QRコード
QRコード
おすすめな物部氏本

古代おもしろシチュエーション