大田別ノート

物部厨どもが夢、それとも幻。

2009/09


藤原乙牟漏陵

京都府向日市寺戸町大牧の高畠陵です。桓武天皇の皇后で平城天皇と嵯峨天皇の母、藤原乙牟漏の御陵。
参拝は2008年の5月です。
藤原旅子の御陵からバスで阪急の桂駅へ行き、乗り換えて東向日駅で下車。そこから徒歩でした。
旅子さんのところからは割と近いです。高野新笠のところもこっち方面ですし、やはり計画的に陵地も設定されたんでしょうね。

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「桓武天皇皇后 藤原乙牟漏高畑陵」と書かれています。
村上朝くらいまで、十陵八墓制の中に入っていたそうです。清和天皇や宇多天皇が即位したときにも、勅使が私が立ったあたりまで来て、奉幣していったんでしょうか。

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「天之高藤広宗照姫之尊」が諡号だったんですね。
藤原乙牟漏は藤原良継の娘で、桓武天皇は自身や父光仁天皇の皇位への擁立に功績のあった藤原式家から皇后を立てたとか、そのころには良継をはじめとする主だった式家閥の功臣たちが死去していて影響力を及ぼしてくる面倒くささが無い人選だったとかいわれます。
良継の母は石上氏なので、乙牟漏を介して平城天皇・嵯峨天皇にうっっすら物部氏の血が…。

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立地的には、こういうアスファルト道路がすぐ前に通っていて、周囲は住宅地でした。道路の向かいはアパートですね。
旅子さんの静かで美しい御陵とは違った雰囲気というか、こちらのほうがふつうなのかもしれません。

【追記:2021年12月】いまGoogleストリートビューで見たら、アパートが無くなって一戸建て住宅地に変わってますね…。


初出:「藤原乙牟漏陵」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51718111.html 2009年09月12日

藤原旅子陵

京都府京都市西京区大枝中山町の宇波多陵です。桓武天皇の夫人で淳和天皇の母、藤原旅子さんの御陵。

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参拝は昨年(2008年)のゴールデンウィーク。
五月なのに夏みたく暑かったです。

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大枝小学校前のバス停を降りて、少し歩くと、三ノ宮神社の前に出ました。
御陵への参道は、この神社の隣りにあります。

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で、これがその参道の入り口です。
こ、この衝立みたいものの名前は何というんでしょう。普段まったく縁が無いものだからわかりません。わかりませんが、静かな雑木林にマッチしていてオシャレです。
「京都だっ」とわけのわからない感想でした。

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奥へ進むと、緑のトンネルの階段です。階段といっても、街中で見るような無機質な感じではなく、写真のような趣のある石段です。

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石段を抜けると、竹林を見ながら続く参道。生垣があってきれいです。
そして御陵が見えてきます。

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「淳和天皇御母 贈皇太后宇波多陵」と書かれています。

藤原旅子は藤原百川と藤原諸姉の間に生まれた娘で、諸姉は百川の異母兄・藤原良継の娘です。式家の血をつよく受け継いでいますね。
ちなみに良継の母は石上氏なので、うっっすらと淳和天皇に物部の血が…。
旅子さんは三十歳で亡くなったというだけで気の毒ですが、残された息子、大伴親王(淳和天皇)がまだ二歳だったというのも可哀そうですね。

この御陵、全体的にとてもきれいに、品がよく、整備されていて好感が持てました。


初出:「藤原旅子陵」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51715684.html 2009年09月06日
コメント
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