大田別ノート

物部厨どもが夢、それとも幻。

2009/07


南下古墳群


2009年3月15日に群馬へ行ったときの写真です。
南下古墳群は群馬県吉岡町の南下(みなみしも)にある古墳群です。五基が見学可能な石室開口古墳になります。
西側に榛名山を望める位置にあります。

南下A号墳

養豚舎と細い道を隔てただけの場所にあります。ちょっと臭ってきますね。
道とは反対側(南側)に石室が開口しています。

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玄室内はかなり広いです。
「截石切組積」と呼ばれる、加工した石材を巧みに組み合わせて積んだ石室になっていて、その美しさに見とれてしまいました。

ただの四角い石材だけではなく、L字型に加工されたりした石が、ピッチリと積まれているのがこの写真でわかるでしょうか。

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南下B号墳

A号墳からちょっと東に行ったところにあります。周りは小さな林や現代人の墓地もありました。
羨道はしゃがんだ状態でないと進めないのですが、玄室は高さ3mもあるそうで、広い印象です。
これ↓は右側の玄門の上部です。冠石を受けるために、切り込み加工がされています。

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側壁が腰くらいの高さまでは垂直に積まれてるんですが、その上は天井に近づくにつれ内側に転ぶ感じに狭くなっていってます。

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南下C号墳

小さな丘の上に築かれています。パッと見、丘全体が古墳に見えてしまいますね。

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ここはA号墳やB号墳と違って無袖の石室です。羨道や玄室の区切りがなく、ずーっと同じ幅で奥壁に突き当たります。

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荒陵寺御手印縁起(四天王寺御手印縁起)


そのうち買おうとずるずる放置していた谷川健一氏の『四天王寺の鷹』を読みました。四天王寺へ行きたくなる本ですね。

それはともかく、続きに「荒陵寺御手印縁起(四天王寺御手印縁起)」のテキスト全文をメモ。
聖徳太子の自筆を称して寛弘年間(1004~1012年)ころに成立した偽書。
物部守屋関連の論文を読むと、かなりの確率でこれの守屋から没収した所領の話が出てきますよね。
実際に四天王寺が保有していた田園等の由来を説明するために作られたものなので、具体的な地名までは偽作ではないと見られます。そして、大阪平野における物部氏の勢力圏と重複する地域が少なくない…という点で、四天王寺が所有する寺領の中に、守屋の遺産が含まれているのは事実なんだろうともいわれています。続きを読む

冠位変遷

しょっちゅう参照するので資料引っ張り出してくるより便利かと思って表を作ってみました。
物部宇麻呂(宇麻乃)の大華上(大花上)冠は、令制での正四位に相当して…のように使ってます。

大宝元年 天武十四年 天智三年 大化五年 大化三年 推古十一年

正一位
従一位

正二位
従二位

正三位
従三位

正大壱
正広壱
正大弐
正広弐
正大参
正広参
正大肆
正広肆
大織
小織

大縫
小縫

大紫
小紫
大織
小織

大繡
小繡

大紫
小紫
大織
小織

大繡
小繡

大紫
小紫
 
正四位上
正四位下
従四位上
従四位下
直大壱
直広壱
直大弐
直広弐
大錦上
大錦中
大錦下
大花上
大花下
大錦 大徳
小徳
正五位上
正五位下
従五位上
従五位下
直大参
直広参
直大肆
直広肆
小錦上
小錦中
小錦下
小花上
小花下
小錦 大仁
小仁
正六位上
正六位下


従六位上
従六位下
勤大壱
勤広壱
勤大弐
勤広弐
勤大参
勤広参
勤大肆
勤広肆
大山上
大山中
大山下
大山上
大山下
大青 大礼
小礼
正七位上
正七位下

従七位上
従七位下
務大壱
務広壱
務大弐
務広弐
務大参
務広参
務大肆
務広肆
小山上
小山中
小山下
小山上
小山下
小青 大信
小信
正八位上
正八位下

従八位上
従八位下
追大壱
追広壱
追大弐
追広弐
追大参
追広参
追大肆
追広肆
大乙上
大乙中
大乙下
大乙上
大乙下
大黒 大義
小義
大初位上
小初位下

少初位上
少初位下
進大壱
進広壱
進大弐
進広弐
進大参
進広参
進大肆
進広肆
小乙上
小乙中
小乙下
小乙上
小乙下
小黒 大智
小智
    大建
小建
立身 建武   

初出:「冠位変遷」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51686842.html 2009年07月02日
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