大田別ノート

物部厨どもが夢、それとも幻。

2009/02


那須と古墳


2009年2月16日は那須へ足を延ばしてきたのです。さすがにちょっと遠かったです。
栃木県の那須地域は、国造本紀などによると、古代には国造が置かれたことが知られます。

下侍塚古墳

栃木県大田原市湯津上の、侍塚古墳群です。なす風土記の丘資料館の湯津上館に車を置いて見学。資料館ももちろん見学しました。

まずは下侍塚古墳です。

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墳長84mの前方後方墳。後方部幅は48mあるそうです。
東日本では、古墳時代前期の首長墳が前方後方墳である場合が多いです。中期に入ると前方後円墳になぜかシフトしていくことになります。
ここもそのひとつ…というか、その最も代表的な例ですね。
下写真は後方部上から前方部を見おろしたところです。結構高低差があって、前期古墳らしさが出ています。

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水戸光圀の命令で発掘が行われたことでも有名です。

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侍塚8号墳

下侍塚古墳のすぐ近くにある方墳。

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次の5号墳の上から撮った、下侍塚古墳(右側)と8号墳(左側)です。大きさの違いがよくわかります。

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侍塚5号墳

円墳の侍塚5号墳。

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下野の石棺式石室?

「大倭穴友会」さんを拝見していて栃木県の河内郡上三川町に、石棺式石室として定義しうる石室があるということを知りました。

石棺式石室は、ほぼ山陰地方にしか分布しない石室だそうで、下野に存在するのはかなり異質に思えます。両地域の中間エリアに全然見られないということは、普通に文化伝播したのではないのでしょうか。
私はこのあたりの知識がないので、どういう要件を満たせば同じ石棺式石室といえるのか、いまひとつわからないのですが…。
とりあえず、見た目は出雲で見てきたものとほとんど同じだと思いました。



愛宕塚古墳

まずは、河内郡上三川町上三川の愛宕塚古墳の石室です。
愛宕山公園というそのまんまの名前の小さな公園があって、その中にこんな感じにこれまた小さな愛宕神社の隣りに保存されています。

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もとはおよそ40~50mの古墳の主体部だったとか。
公園の中央に大変立派な忠霊塔があるのですが、それを作る際に掘り出されて現在の位置に運ばれたらしいです。

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左側面を見たところです。天井石の外観は、家型石棺の屋根部分のように三角だったように見えますよね。ちょっとすり減ってはいますけど。

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つぎは右側の様子。

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中にも入れます。
四方それぞれと天井が一枚ずつの石でできているので、きれいに整った印象です。

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兜塚古墳

つぎに兜塚古墳石室です。
愛宕塚古墳石室から、南東に500mほどのところの近さにあります。
ふつうの民家の間の道路上に、どーんと石室だけ残っている姿は、独特の雰囲気を放ってますね。

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ブロック塀で周りを囲ってあります。
石室という古代と、ブロックという現代のミスマッチが何とも。

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左後方から。ここだけ一部塀が途切れてます。

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天井石は、前後の2枚なんですね。

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一応、小さく開口しているのですが、塀が邪魔だったり、正面に祠があったりで中に入ることも、覗き込むこともできません。
が、遠慮のない人間はよじのぼってカメラを突っ込んでみます。なんだかわからない画像になりましたが…奥壁が写ってます。

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やはり、出雲で見たものと似ていますね。まったく無関係に成立するとは思えなくなります。謎です。
7世紀での出雲族の移住みたいな見方は、通用するのでしょうか。
下野の豪族が出雲へ出かけていって、それを真似るというのも考えがたいです。副葬品ならともかく、主体部のような保守的な面が出そうな部分となると納得できません。
集団移住とまでいかなくても、出雲出身の人が下野に土着するパターンとなると、何を想定すべきなのか。それとも、別の理由があるのでしょうか。

初出:「下野の石棺式石室」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51616546.html 2009年02月15日

守屋神社

守屋尚氏の『物部氏の盛衰と古代ヤマト王権』を注文。
物部氏の盛衰と古代ヤマト王権
守屋 尚
彩流社
2009-02-01

高齢のアマチュア研究家の方が書かれたものだそうです。たのしく読める本だといいな。
「守屋」さんって姓いいですよね。

物部守屋を祀る神社といえば、諏訪のほうにある守屋神社を思い浮かべます。
前回のネット落ち中に一度上げた画像ですけど、復帰時に過去記事は残らず抹消したので、もういちどアップしておきます。

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なんといっても、この鳥居の額がいい。「物部守屋神社」。

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階段を登って拝殿。

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さらに登っての本殿。どちらも萱葺き屋根が素朴な印象です。

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こちらは里宮で、諏訪大社上社の神体山との説もある守屋山の上に奥宮があるそうです。
たぶん、モリヤという地名なり神様なりが元々この地方にあって、その後モリヤという名前の有名人ということで付会されちゃったんでしょうね、物部守屋。


初出:「総体という名の60」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51612229.html 2009年02月08日
コメント
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