大田別ノート

物部厨どもが夢、それとも幻。

2007/03


総社古墳群


7世紀前葉、上毛野にも前方後円墳の時代の終焉が訪れました。多様さを誇った埴輪たちも、この時期に姿を消します。
しかし、かつての巨大古墳のようなものは無くとも、古墳そのものは7世紀末ころまで盛んに築かれていました。群馬県内で一万基をゆうに超えるといわれる古墳は、その大半は群を成して分布する円墳です。比較的、広い階層の人々にも古墳をつくる風習がいきわたっていったともいえるかも。

そんな中、規模や構築技法の精巧さにおいて、とびぬけた存在が宝塔山古墳や蛇穴山古墳です。
総社古墳群に属するこれらは、当時の上毛野国の中心的地位にあった豪族のものと見られます。6世紀代には各地で大型前方後円墳が築かれていた上毛野ですが、7世紀に入ると、総社古墳群を除く地域では、それに続くに相応しい内容を持った古墳が一切見られなくなります。総社古墳群が造営された地域は、上野国府や国分寺が作られた上野国の中心地域でもあります。
この古墳群の被葬者が、「上毛野君(後に上毛野朝臣)」に有力視されるのは、そのためです。

王山古墳

前橋市大渡町。中央大橋の西、不二家レストランの向かい側に王山公園として保存されています。
全長75.6メートル、後円部径50メートルの前方後円墳。6世紀初頭ころの築造といわれます。
東南東に横穴式石室が開口していたといいますが、現在は埋まっています。
後円部が川原石と砂礫のみで(普通の土は使わず!)作られているのが特徴。一度円墳として完成したものを、後から前方部を付け足して前方後円墳にしたと見られています。

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遠見山古墳

前橋市総社町総社。城川公民館の隣にあります。
全長約70メートル程の前方後円墳。5世紀末ころの築造かといわれます。
名称は、総社城の築城の際、遠見の櫓がここに築かれたためといいます。

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吉見百穴横穴墓群

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2007年3月3日は、行田市の県立さきたま史跡の博物館での講演を聴きに行ったのです。この博物館では吉見百穴をテーマにした特別展が開催中で、それも見がてら…といった感じで。
講師の金井塚良一氏は、『吉見百穴横穴墓群の研究』という著書で知られる、関東の横穴墓研究の第一人者だそうで、埼玉県立博物館の館長も務めたことがある方。

お話の結論的には、やはり渡来系の人々が吉見百穴を築いたのだろうと。
胴張のある石室の古墳や、横穴墓における、埼玉県内の例や茨城県の例を示して、推古朝に朝廷の東国政策の一環として渡来系氏族が送り込まれ、墓制に変化が起こったと見ることが出来るといわれてました。
特に、吉見百穴のある比企郡に隣接する男衾郡に勢力を持った壬生吉志に注目しているようでした。

そんな話を聞いたり、特別展に並んでいる関東各地の横穴墓出土の遺物を見ているうちに、現地に行って見たくなったわけです。

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