国神神社


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福井県坂井市丸岡町石城戸町に鎮座する国神神社。延喜式神名帳の越前国坂井郡に、「国神神社」がみえます。
2009年のゴールデンウィークのときの写真です。
『式内社調査報告』を見ると、旧社地は現在の丸岡城の地にあり、城の築造によって現在地へ移転してきたという話が載っていました。丸岡城からは、150mほどの距離でしょうか。近いです。

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祭神は、椀子(まろこ)皇子。継体天皇が倭姫(三尾君堅の娘)との間にもうけた皇子と『日本書紀』にあり、三国公氏の祖とされます。
三国は越前国坂井郡一帯で、まさに当地の豪族の始祖ですね。
ほかに、継体天皇の母・振媛命と、継体天皇の五代前の先祖・応神天皇が配祀されます。

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椀子皇子が祭神に比定されたのは、丸岡という地名が椀子に似ているためというのもあるようです。
社名が「国神」なので、本来は国津神か、もしくは国魂神を祀っていたのかもしれません。

大きくて特徴的な幹の木もありました。

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椀貸山古墳

坂井市丸岡町坪江の椀貸山古墳です。
国神神社からは北へ4kmほど、もう少しであわら市に入るという場所です。現在は某社工場の敷地内になっており、門の外からでも、まるんとした後円部が見えます。

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横山古墳群を構成する一基。
墳丘全長42m、後円部径28mの前方後円墳で、前方部を北に向けています。周濠を持つといいますが、田地化や工業用地化を経て、今ではかつての面影はないようです。
二段築成の墳丘だそうですが、見た目にはよくわかりませんでした。

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主体部に片袖式の横穴式石室を持ち、後円部中央から西側のくびれ部に向かって開口していたらしいです。
今は埋め戻されて、石室内部を見ることはできません。奥壁に赤色顔料の塗られた、石屋形があるといいます。

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古墳の名称は、椀貸し伝説があることによります。石室内に土器が残っていて、それを見た人でもいたのでしょうか。
また、椀子皇子の墳墓とする説もあるようです。
三国氏ゆかりの地域の有力古墳であるだけでなく、時代的にも六世紀前半ころの築造で、皇子の世代をあてるに矛盾はないようです。

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継体天皇の母・振媛の出自を三尾氏にあてる説があります。そうすると、継体は母の一族から稚子媛(若比売)と倭媛のふたりを娶っていることになります。三尾氏には本拠地を越前とする説、近江とする説がありますが、いずれにせよ、継体にとって勢力の足元を固める婚姻ということになります。
倭媛との結婚も、尾張氏など他の地域の妻妾よりも早く、若いころのもので、椀子皇子も継体の皇子女たちのなかでは年長の部類に入るのかもしれません。

墳丘上の様子。

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初出:「国神神社と椀貸山古墳」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51922014.html 2011年04月16日