2008年のゴールデンウィークで行ったときの写真です。

石棺式石室は、石棺の側面に入り口のあるような形の石室です。って、自分で言っててわけわからんです。横穴式石室の一種なんですが、家型石棺を大きくしたような格好をしてるんですね。石室なので、この中に棺に収めた遺体が置かれることになります。
古墳時代後期末(6世紀末~7世紀前半)の山陰地方、特に出雲東部に多く見られるのが特徴の埋葬施設です。

塩津神社古墳

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島根県安来市久白町に鎮座する塩津神社。塩津神社古墳は、その境内の隅にあります。
盛り土はすっかり失われてしまった状態です。本来は羨道もあったらしいんですが、やっぱり現存しません。
写真でご覧になってわかるとおり、石室だけ道路に面してあり、奇妙な存在感を放っています。

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外から見ると、すり減っていてよくわからないんですが、中からだと、天井が家型の屋根状になっているのがわかります。
三角。

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山代方墳

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島根県松江市山代町の山代方墳です。
6世紀中葉以降、出雲市塩冶町付近を中心とする出雲西部と、この松江付近を中心とする出雲東部とには、大型の古墳があいついで築かれていました。
出雲西部は尾輿の時代の物部氏によって制圧され、大和王権の支配下に入りますが(出雲国譲神話の形成開始)、その物部氏と密接な関係にあった出雲西部の勢力は、守屋の死によって中央政界の後ろ盾を失い、7世紀はじめには有力な古墳は築かなくなりました。
山代方墳は、このとき出雲全域を領することになった首長が被葬者と見られています。「出雲国造」の直接のご先祖といってもいいです。

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閉塞石の一部が欠けてるので、腕を突っ込んで撮影。
前室は落ち葉でビッチリです。奥室はよくわかりません…



岩屋後古墳

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松江市大草町の岩屋後古墳です。「八雲立つ風土記の丘」から東に道路を挟んですぐのところにあります。
国造に次ぐような有力な人物が葬られた古墳のようです。

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こちらは、ばっちり屋根形の天井石なのがわかります。どうせ墳丘で覆っちゃうんですけど、埋葬儀式のときまでは屋根を露出させたままで、後から土をかぶせた可能性が高いのだとか。

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初出:「出雲の石棺式石室×3」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51568984.html 2008年11月29日