白鳥塚古墳

三重県鈴鹿市加佐登町に鎮座する加佐登神社。
うっかりして写真を撮り忘れました…鈴鹿郡鎮座の式内社「倭文神社」を合祀するともいうのに…惜しいことをしました。
この参道を登ったところに社殿があるのです。

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そして、神社の左手から後方へ少し行ったところにあるのが、白鳥塚古墳です。
本居宣長らが日本武尊の墳墓と見ていたため、明治の候補地でも最有力だったようですが、治定からは残念ながら漏れてしまいました。
従来は円墳と見られたり、明治期に石室を見たという口伝から六世紀の横穴式石室を持つ古墳と見られたりしていました。
しかし、平成17年の調査で、帆立貝式古墳であることが明らかになり、築造時期も五世紀前半と見られるようになりました。

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私が訪ねたのは平成18年のことですが、トレンチの跡などには気づきませんでした。きれいに埋め戻したんですね。
全長92メートル、後円部径77メートルといいますから、なかなかの規模です。
丘陵の頂上を利用して築かれているので、見た目はもっと大きく感じました。

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古墳の裾からは隣りの調整池がよく望めます。
このときはちょうど夕暮れ時で、日が水面に反射してキラキラと奇麗だったのですが、全然うまく撮れませんでした…

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西ノ野王塚古墳

三重県鈴鹿市国府町の一帯にある、西ノ野古墳群のなかに王塚古墳があります。西ノ野一号墳ともいいます。
名称の「王塚」は、明治の頃には既にそう呼ばれていたようで、これが所在地と合わせて日本武尊の墳墓とみられたらしいです。

国の史跡に指定されているそうで、立派な碑も立っていました。

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周堀と外堤をめぐらす前方後円墳。墳長63メートルの首長墳です。
周堀は現状でも目視確認できる感じによく残っています。

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これ↓は手前が後円部で奥が前方部だったと思います(記憶が…)

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墳丘の上から前方部の隅の部分を見たところ。

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五世紀末~六世紀初頭ころに築かれたと見られています。
前方部と後円部の高低差があまり無かったような気がします。

↓墳丘上の様子です。

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西ノ野古墳群は、もと100基を越える古墳を擁する古墳群でしたが、大半は消滅して十数基しか残っていないみたいです。
下は、王塚の南東にある五号墳。長さ30メートルほどといいますから、前方後円墳としては小ぶりでしょうか。
周囲に六号墳、七号墳、八号墳、九号墳、十号墳が衛星のように取りまいている、と現地の案内板に説明がされていました。

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この古墳群と鈴鹿川を挟んで向かい合うような位置に、伊勢国府跡とみられる長者屋敷遺跡があります。
古墳に見られる繁栄が、国府が置かれるような伊勢国の中心地としての前段階といえそうです。鈴鹿市や亀山市の一帯は、大和と東海地方を結ぶ交通路でも、重要な位置と占めたようで、王権との繋がりの深さが想定されると思います。
日本武尊の亡くなって葬られた地が、ここに求められたのも、そのような位置が背景にあると思います。


初出:
「ヤマトタケルの墓【3】」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51864191.html 2010年09月27日
「ヤマトタケルの墓【4】」『天の神庫も樹梯のままに。』http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51867331.html 2010年10月08日